ー 麻生家宗(宗教)と六波羅探題滅亡 ー
元弘三年(一三三三)、五月。 京都、六波羅探題が陥落した。五月七日のことである。 麻生左衛門二郎宗教――当時はまだ、俗名の「家宗」を名乗っていた。齢は四十を越えている。 燃え上がる政庁の門前で、家宗は折れた太刀を杖に立ち尽くしていた。
彼は、山鹿一門のなかでも家格の劣る庶流の出である。六波羅では、諸国の差配に奔走する上級武士の陰で、馬を世話し、矢を運び、戦端が開けば真っ先に突き進む、泥にまみれた「年嵩の端武者」に過ぎなかった。
喰う物もなく鴨の川原を幾日もさまようなかで、耳を疑う風聞が次々と飛び込んできた。
五月二十二日、鎌倉が滅亡。そして五月二十五日、九州では鎮西探題・北条英時が博多で自刃。わずか一月の間に、家宗が半生を捧げて仕えてきた「北条の世界」は、文字通り灰燼に帰したのである。
「……すべて、消えたか」
河原の泥を舐めるようにして、家宗は呟いた。誇り高き山鹿一門の「左巴」の紋も、煤と返り血に汚れ果て、もはや見分けもつかない。その時、敗残兵の群れのまえに、一人の男が立った。
足利尊氏。 六波羅を攻め落とした張本人が、泥にまみれた残党たちを見下ろしている。
「――立て。死に場所を失うたのなら、我と共に生きよ。貴様のような、死を覚悟した男の目が欲しかった」
家宗は、その声に弾かれたように顔を上げた。 「鎮西の者か。ならば、そこで芽吹く蘆になれ。踏まれても、焼かれても、泥のなかで根を広げ、いつか我が足場となる地を、その手で掴み取ってこい。故郷に戻り、余を待て」
名門の嫡流でありながら、どこか虚空を見つめるような切れ長の眼差し。家宗は、その言葉を呪いのように胸に刻み、敗残の徒として、よろよろと立ち上がり、ひとり西へと歩き始めた。
建武元年(一三三四)、筑前国遠賀。 戻った故郷で待っていたのは、時勢の見えぬ一族の姿であった。山鹿の惣領・政貞は、北条への旧恩という名分に縛られていた。翌年の規矩高政の乱において、政貞は庶家である家宗にも参陣を求めた。
「惣領殿、おやめくだされ。北条の世は、あの五月に、ことごとく尽きたのです。意地を張って死ぬには、我らは歳を取りすぎました」
家宗は訴えた。だが、長く筑紫の大地に根を張り、左巴の誇りに殉じようとする政貞にとって、京の河原で尊氏に心魂を拾われた家宗の言葉は、裏切者の妄言にしか聞こえなかった。
「家宗、貴様は京で魂を売ったか。山鹿の左巴を汚し、今の代にしっぽを振ろうというのか」
「……誇りで一族は守れませぬ。私は、あの御方の旗をこの地に立てるまで、死ぬわけにはいかぬのです!」
家宗は「不平」を唱え、一門から離脱した。政貞が帆柱山に籠もり、過ぎ去った時代の幻影とともに散っていくのを、家宗は遠くから見つめていた。彼は、一族の誇りである左巴を、自らの血で塗り替える覚悟を決め、頭を剃り落とした。「家宗」を捨て、「宗教」と改めた。過去を捨てて、尊氏という一点の光にのみ生きるための決別の証であった。
宗教は去就が見えぬ一族を憚って芦屋の津に潜み、荒くれの漁師や船頭をまとめ上げ、江川の水運を掌握した。四十を越えた男の執念は、若者のそれよりも遥かに深く、遠賀の海を浸食していった。
建武三年(一三三六)二月。赤間関まで逃れてきた尊氏のもとに、宗教が放った小舟が近づいた。 「博多の海は、菊池勢の機嫌を伺う船で溢れております。公( おおやけ )の海路を避け、内海( 洞海湾)を通り、芦屋へお入りくだされ」
二月二十九日。夜陰に乗じ、尊氏の船団は山鹿庄北岸の荒波を避け、宗教が差し向けた水先案内の導きに従って、洞海湾から江川へと滑り込んだ。 複雑に入り組んだ水路、潮の満ち引きを知り尽くした麻生の手勢がいなければ、船団の移動は不可能であった。
芦屋津の波打ち際。宗教は、松明を伏せ、音もなく尊氏を待っていた。周囲に敵はいない。しかし、この着岸が漏れれば、博多の菊池勢に尊氏の所在を突き止められる。宗教は、自身の郎党たちに厳命し、芦屋一帯を沈黙の中に沈めていた。
「……お約束通り、足場を整えておきました。これよりはわが庭にございます」
宗教は、己が何者であるかを微かに添えた。春とはいえ夜気は冷たい。尊氏を用意していた山鹿庄内の隠れ家に導く。そこには、宗教が三年間、自らの足で集めてきた時勢の断片――菊池武敏が太宰府へ動く気配、少弐や大友の思惑、そして今通り抜けてきた内海の詳細な海路のすべてが、無数の反古に書きなぐられていた。
「宗教……。おぬし、まこと蘆の根を張ったのだな。」
尊氏は、差し出された白湯を啜り、ようやく人心地ついた。
「明日は宗像にお移りいただきます。おっつけ少弐や大友も参りますれば千騎にはなりましょう。なれど、菊池方は数万。怖じ気づく者もございましょう。されば殿が真に頼るべきは、大名衆ではございませぬ。この芦屋から博多の裏を突く、『水の道』にございます。御心強くおわしませ」。
宗教の目は、老いを知らぬ鋭い光を放っていた。(つづく)
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